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2010年10月

シンポジウム「批評!!」 多謝!!

シンポジウム「批評!!」、おかげさまで無事終了しました!!

14時からスタートした白熱の議論はとどまることなく、全長4時間(!!)を超えそうになりました。

満席のなか長時間にわたり、真剣に耳を傾けてくださったご来場の皆様、ありがとうございました!!

さて、当日の会場の様子です。

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シンポジウム「批評!!」 予約締切り!!

10月9日(土)に開催しますシンポジウム「批評!!」、おかげさまでご予約で満席となりました!!

ありがとうございます!!

シンポジウム当日をお楽しみに!!

※誠に恐縮ではありますが、会場が手狭のため、当日予約なしでご来場いただくと、ご入場をお断りする場合があります!! ご了承ください。


第三回企画「批評」【記録】

「美術犬(I.N.U.)」第三回企画 シンポジウム「批評」
粟田大輔/沢山遼/土屋誠一 司会:雨宮庸介

雨宮 それでは、シンポジウムを始めさせていただきます。僕は普段は美術家で、作品を作って発表しています。「美術犬」は「美術」と「言説」について考えるためのものとして昨年始めました。「美術犬」は今回が3回目の企画ですが、そもそもなぜ「美術犬」ということを始めようかと思ったかというと、以前あるシンポジウムに参加したときに、なんだか、空(くう)に向かって喋っているような気がしたんです。つまり、「美術」のことを「美術」のフィールドで話しているにもかかわらず、誰に向かって喋っているのか分からなくなったんですね。理由として考えられるのは、たとえば、美術の話って「美術と言説のアプリオリに~~」とか「美術についてのメタ~~とは」等々、なんていうか概ね話が細かいですよね。でもそうしたら、まずそこで言う「美術」とは一体何なのか、「言説」とは一体何なのか。それを棚上げしたら一向に何かに行き着くはずがない。だったら、それを直接的に問うような場所が必要なんじゃないのか。そうでなければ狭い場所に陥っているようにも見えるし、そういうことを繰り返していくうちに、実際狭い場所に陥っていくのではないか。ベタな問いでもいいから、「美術」だったり「言説」だったりについて、直接話をする場だけでも作ろう。こう言葉にしてみると単純なことかもしれないですけど、そういう場所は意外にも少ないから、場所だけでも作ってみよう。そんなことが「美術犬」の狙いです。
 「美術」も「言説」も、すごいスピードに乗っかって動いているものだから、いくらベタな問いだとしても、簡単に「ああ、知ってましたよ」という話にはならないはずです。今回なぜ「批評」がテーマなのかというと、さっき言った「美術」と「言説」のうちの「言説」のほうが、今回の「批評」というテーマにあたるわけです。もちろんこれは批評一般の話ではなく、「美術批評」についてです。「美術犬」の活動として、大きな柱となるテーマのひとつです。今回、私はできるだけ話を聞かれている皆さんと同じ目線で、率直にパネリストに問いかけていければと思います。

土屋 私も、「美術犬」のメンバーのひとりですので、内容に入る前に、なぜ今回のパネリストに登壇してもらうことになったのかということについて、若干補足させていただきます。特にマニフェストとして明記しているわけではないですが、「美術犬」は30歳代半ば前後ぐらい世代が、そのメンバーになっています。私たちより先行する世代の美術評論家だと、上は80歳代から、下はたとえば椹木野衣さんでしたら40歳代半ばぐらいになります。勿論、そういった方たちはいらっしゃるんですけれども、今回は自分たちに比較的近い世代で、パネリストをお招きしようと考えたわけです。勿論、粟田さん、沢山さん以外にも、「美術犬」のメンバーが属する世代から見て、他にも評論活動を行っている人たちがいます。あえて舞台裏を申しますが、粟田さん、沢山さん以外にも、お声を掛けさせていただいた方は何人かいらっしゃいます。ですが、「批評」というテーマで話をすることそれ自体に、ご賛同いただけなかったわけです。評論家が少なからず存在しているなかで、結果として今回参加してくださった方が、このお二人でした。こういう言い方をすること自体、せっかく来てくださった粟田さんと沢山さんに失礼であることは承知していますが、何故あえてこんなことを申しているのかというと、そもそもこういった公開の場での討議自体をしたくない、あるいは避けたい、という雰囲気が、今日、良くも悪くもあるのではないか、それが今日の美術批評が置かれている現状はなのではないか、ということを言いたかったわけです。

雨宮 それは何故なのかと聞きたいところですが、これからの話の中で関係してくると思いますので、早速ですが基調報告に入りたいと思います。まず土屋さんから。

基調報告:土屋誠一

土屋 まず基本的な事実からお話しします。私は2003年から美術評論を書き始めました。そのきっかけは、美術出版社が主催している「芸術評論募集」という論文公募でした。最新のものが先月号の『美術手帖』(2009年10月号)に掲載されていて、そこで受賞されたのが沢山さんで、粟田さんはその前の公募の際の受賞者です。私は、粟田さんよりもさらにもう一つ前の公募の際に受賞したのですが、それが2003年でした。美術評論にもさまざまなスタイルがあると思いますが、たとえば、ある社会構造が所与のものとしてあって、そのなかにさまざまな美術の表現があって、その結果として美術の現状、すなわち「アートシーン」というものがあり、それをリサーチしてある見えやすい形で見せるというようなやり方。いわば「状況論」とでも言うべきスタイルだと思いますが、そういうことにはほとんど関心がなかった。「作品」というものをよく見て分析し、それがどういった構造を持つのか、さらに、その分析によっていかなる価値がそこにあるのか、ということを書きたいと思っていたわけです。
 これは世代論のようになってしまうかもしれませんが、私自身の置かれていた当時の環境を振り返ってみると、たまたま私がそういった場所に居合わせただけかもしれませんが、こういう態度で美術作品に取り組むことを良しとする人が多かった。要するに、いわゆるフォーマリズムあるいはモダニズムのスタイルを踏まえた上で、ものを考える。フォマーリスティックな分析をしていくことこそが善である、というような雰囲気です。もちろん、フォーマリズムの態度自体、非常に恣意的な選択ではあるのですが、私はその影響を非常に強く受けていました。具体的にその影響の元ネタというのは何なのかというと、当時『批評空間』という柄谷行人と浅田彰によって編集されていた雑誌があって、その雑誌の別冊で『モダニズムのハード・コア』(1995年)というアンソロジーおよび論文集が出版されました。その別冊を編集したのは、浅田彰、岡崎乾二郎、松浦寿夫ですが、そこにはクレメント・グリーンバーグやマイケル・フリード、ロザリンド・クラウスといった、アメリカ型のフォーマリズムの系譜を辿るような、歴史的に重要な論考の翻訳が掲載されていたわけです。そのうちの岡崎乾二郎さんですが、岡崎さんが書いていらっしゃった文章が、非常にクリティカルに見えたし、実際刺激的だったんですね。岡崎さんは、作品から取り出せる構造をできるだけ細分化していって、そのことによって作品の可能性の中心を切り出すような、鋭い分析を行っていました。美術作品に対してのそのような分析のありかたが、私にとってはともかく非常に刺激的だった。
 けれども私が2003年に受賞した論文は、斎藤義重についてのものだったんですね。いまになって振り返ると、なるほど私はそういうことに関心があったのかと思うのですが、その関心を一言で言ってしまうと、こうです。「日本のアヴァンギャルドの系譜を考え直すにあたって、誰を扱えば一番効率がいいのか」。斎藤義重は非常に長生きをした作家で、1904年生まれで亡くなったのが2001年です。長生きをすると一体何が起こるか。通常日本の美術の歴史を語る際、戦前、戦後という切断面を想定してしまうわけですが、そうではなく、近代以降に現れた日本における前衛芸術のあり方や歴史的展開を、切断ではなく連続性として捉えた方がいいのではないか、というようことが見えてくる。たとえば、斎藤義重の戦前の作品を見ると、明らかにジャン・アルプの影響を受けている。ヨーロッパのダダや構成主義のスタイルを、ほぼリアルタイムに用いているのです。つまり、その当時の世界的な前衛芸術の動向に、ほぼ同伴するような作品を作っていたわけです。一方、戦後に目を向ければ、いわゆる「もの派」の動向に含まれるアーティストたちは、斎藤義重の作品に対する考え方のスタイルや思想的な側面で影響を受けているし、斎藤自身も明らかに「もの派」の動向を意識したような作品を制作している。ともかく、斎藤を扱えば、戦前から戦後にかけての連続性が見えてくるのではないかと考えたわけです。
 「もの派」的なスタイルが隆盛を極めた時代でもある1973年に、斎藤は、戦前の作品を再制作しています。これらの作品のオリジナルのものは、戦時中に空襲で焼けたりして、現存していませんが、1930年代に制作したものが当時展示された際に撮影された、記録写真が残っています。けれども、このオリジナルが写り込んでいる記録写真と、再制作された作品を見比べると一目瞭然ですが、確かに似た作品ではあるものの、再制作された作品はオリジナルと全く異なった構造をもっています。再制作というのは通常、オリジナルの作品と同一なものを作ると考えるわけすし、オリジナルの作品が残っていないからこそ、再制作をするわけです。ですから当然、再制作とは、オリジナルの作品と同等の価値を持つものとして、リプロダクトされるわけです。けれども、先程申した通り、オリジナルの作品と再制作の作品とは、全く違う作品になっている。では、一体ここでは何が起こっているのか。再制作とは、その再制作品が作られる時点から数十年歴史を遡行して、新たに歴史を記述し直そうとするような試みです。しかしながら、ここでは歴史を新たに記述し直そうとする意思が全くない。この再制作された作品は、同時期に新作として制作された、斎藤の他の作品のほうに、構造が非常に似通っているんです。つまり、戦災で消失してしまったから新たに作り直した、というだけの話ではなくて、1970年代のその時点の関心に従って、作品が新たに作り直されてしまっている。いわば、歴史の改竄が行われている。
 しかし私は、単に歴史を改竄しているのではなく、そもそも「歴史」という概念それ自体が欠如しているのではないか、と考えたわけです。日本の前衛美術に、そもそも「歴史」という概念が存在しないならば、戦前、戦後で区切るような美術の史的展開の記述そのものが、日本の現代美術においては、本当は機能していないのではないか。そう考えていくと、私が取り組むべきは、始めに話したような作品を精緻に分析していくことよりも、歴史がどのように形成されてきたのか、あるいはされてこなかったのか、ということを問題にすべきだろう、と思ったわけです。なお、「日本」という枠組みにおいてものを考えようと思った理由を端的に言うならば、私が日本語でものを考え、書いているということであって、それ以上でも以下でもありません。少なくともそのような言語的環境の中で、私が美術評論を書くという行為を行うのであるならば、日本というコンテクストは望むと望まざるにかかわらず、そして「日本」という領域確定が妥当なのかどうかはともかく、そのような点について思考しない限り、美術評論それ自体が、単なる知的な遊戯に留まってしまうのではないか、と思ったのです。ただ、現時点から2003年の当時を振り返るとそういうことになる、というだけであって、その当時はそこまでは考えが及んでいなかったかもしれませんが。
 一方、最初に申したような、フォーマリスティックな作品との接し方、それを純粋視覚性と言っていいと思いますが、いくら純粋に作品を観たところで、作品の良し悪しは見えて来ない、という単純な事実に、実感として気づくことになります。私が「芸術評論募集」で受賞した当時、最初の仕事として行うことといえば、1年間毎月、展覧会評を書くことでした。『美術手帖』の「ギャラリー・レビュー」欄で、毎月3本の展覧会を取り上げることになるので、年間にすると36本書いたことになるのですが、そのたった36本を書くために、東京とその近郊で開かれている、大小合わせて1000ほどの展覧会を観ました。文字通りの千本ノックです(笑)。その当時、どのようなモチベーションを持っていたのかというと、一般に認知されている作家や作品の位置づけや価値をひとまず括弧に入れて、とにかく作品だけを見てその質の善し悪しを判定しましょう、といことを考えたわけです。つまり、作家や作品の周囲にあるコンテクストを全て取り払ってそこで全てを判断しましょう、と考えた。ですが、これでは上手く行かない。なぜなら、コンテクストを取っ払ってしまったら、現代美術なんてものは読めないからです。現代美術は多くの場合、良くも悪くもコンテクスチュアルなものである。だからコンテクスト取り払ったらそこには何も残らず、作品の善し悪しを認定することができなくなる、ということに思い当たったわけです。そこで初めて、さっき言ったような、歴史の問題に思い至ったのかもしれません。そんなこともあって、私は現在、美術のジャーナリスティクな文章をほとんど書いていません。そのような現状に至った経緯として、私自身の体験談めいた話を、前提としてお話させていただいた次第です。

雨宮 現在のことをやってみて、やはり歴史の方だ、と仰いましたが、土屋さんの批評のスタンスというのは、単に現在のことを措いて、歴史の方がいいというだけではないということですよね。たとえば、最近の「芸術評論募集」での、過去の事象をモチーフにした沢山さんや粟田さんの受賞論考を読んでみても、そこにも全然新しいセンテンスがあったんですね。何が言いたいのかというと、土屋さんが歴史をやるといっても、単に古い話をしようとしてるわけではなくて、あくまで現在のことをどうにかしようとして、歴史というツールを持ってきている、という認識で間違っていませんか?

土屋 それは全く仰る通りなんですけど、もう少し違う言い方をしてみます。当然のことながら、私は「今現在」において、文章を書いているわけです。けれども、そもそも今自分が書いているものが、一体どういった歴史的な文脈の後に書かれているのかを同定きない限り、文章を書くこと自体が不可能である、であるが故に同時代の美術作品に対して記述することも、私自身の立っている位置が分からなければ書けない。だから、もう一度歴史というものを構築しなければ書けないと考えたわけです。

基調報告:沢山遼

沢山 僕も土屋さんと同じで、「芸術評論募集」が今年あって、たまたま賞を取りました。僕と粟田さんと土屋さんは、奇遇にも同じ賞を取った人たちで、僕は半ば意図的な人選なのかなと思ったんですけど、そうではなく、今日はたまたまそういうメンバーが集まったっていうことみたいですね。
 今、土屋さんの話を聞いてて、間接的に僕も土屋さんの論文の影響を受けていたのかなあと漠然と思っていました。先程話に出た『モダニズムのハード・コア』に掲載されていたクラウスとかフリードとかグリーンバーグとか、その人たちの文献を日本語で初めて読んだとき、僕はたしか大学一年生くらいだったんですけど、こういう世界があるのか、と驚愕して、批評を含めて美術の勉強を始めたわけです。だからさしあたって僕にとって美術批評の入り口は日本のそれではなくてアメリカの美術批評だったということになります。
 アメリカの批評家のなかでももっとも大きな影響力を持っていたのがクレメント・グリーンバーグですが、彼のフォーマリズム批評が、先ほど土屋さんがご説明された要素以外にどういうものがあるのかというと、グリーンバーグは作品の質に関するジャッジを行う。この作品はグッドかバッドか。そういう批評の問題が、グリーンバーグにはあったと思うんですけれども、考えてみると、作品の良し悪しっていうものは、たとえば作品が二つあった時に作品Aと作品Bと分割するような、そういう思想が働いてなければ質的な判断というのはそもそもできないということです。だけど、たとえば同じ人物の作品Aと作品Bがあったときに、それをどこで裁断して、その良し悪しを決定することができるのか。作品Aはあんまり良くないけど、Bは良い、とかそういう批評がそもそも言説として成り立つのかどうか。このことがグリーンバーグの質的判断に関連するかどうかはともかく、そういった場合、作品のフレームをどこに設定するかということが絶えず問題になるのだと思います。
 おそらくグリーンバーグにとって、そのような質的な判断と、歴史記述は切り離せないものだったと思います。たとえばジャクソン・ポロックはアメリカ絵画における最大の達成である、と彼が言ったとします。けれども、そのようにポロックを擁護する場合、ある美術史上の展開がヨーロッパにあって、それがアメリカで展開されて、その展開の上にポロックっていう人がいるとか、あるいは端的にグリーンバーグの影響を受けた批評家でキュレーターのウィリアム・ルービンが書いているように、ポロックの絵画のオールオーヴァーな画面構造はモネの影響を受けているからヨーロッパからの絵画的伝統の正統であるとか、そういった言い方が当然あるわけです。ポロックの作品のクオリティを述べるのに、まず個人の諸作品を様式化して国際的に組織された展開が持ち出されて比較される。そのとき、一連の作品群はポロックという人物の名とますます分かちがたくなるし、様式として、ある時間的な層の上に固着してしまう。ひとつの商標登録のようなものとして。だから、作品の連続的な展開において作家の作品を批評するという態度、作家と作品とを相互的に連関させて考える態度、あるいは作家の名のもとに組織された個々の作品にフレームや単位を導入すること、そういうことのすべてと、発展的な歴史叙述を行う態度は、半ば共犯的に設定されてきたような部分があると思うんですね。
 それとは逆に土屋さんのさきほどのお話でいうと、斎藤義重が戦前と戦後で同じ作品を、ちょっと形式が違うようなものを作ったということでしたが、この場合、斎藤に歴史認識が欠けていた、ということと、斎藤が作品Aと作品A´をほとんど同じものとして作った、ということとは、不可分だと思うんです。過去の作品形式の反復、あるいは再制作をしたということや、斎藤が歴史的展開をなかば無視したアヴァンギャルドであったことは、個人の作品の展開や国際的な美術の歴史の展開が斎藤のなかでけっして自明で必然的なものとしてみなされてはいなかった、ということの証明であると思う。
 土屋さんは先程、日本というコンテクストで考えるために斎藤を取り上げたとおっしゃっていましたが、僕が「芸術評論募集」で書いたのは、カール・アンドレという、アメリカのミニマリズムの作家だったんですね。そういう意味では、僕は日本というコンテクストを取り上げていない。では、ミニマリズムという芸術動向がどういうことをしたかというと、ある物体と同じ形態をした物体がいくつも展示空間のなかに収まっているとか、あるいは、ロバート・モリスの《Three L Beams》(1965年)のように、L字型の同じ形をした立方体が違う姿勢で展示空間のなかにある、っていうようなものです。ミニマリズムというのはよくインスタレーションと呼ばれる形式の先駆的な動きだと言われるんですが、一方でミニマリズムの戦略は、作品という単位が単体でも記述できるけど、複数のユニットとしても同じもので、それがひとつの空間のなかに収まっているというような、そういう形式として記述できるというものだった。言い換えると、作品が単体であるということと、複合的であるということの分節し難さがある。その意味でミニマリズムには、グリーンバーグにたいする応答であるかはともかくとして、作品という単位を設定することへの批判、あるいは歴史主義に対する批判が組み込まれていた。ミニマリズムは、そういったことをやろうとしたのだと思います。そういう意味では、斎藤義重の方法とミニマリズムの戦略というのは、重なる部分もあるんじゃないかと、さっき話を聞いてて思いました。
 僕自身がどういう意図を持ってアンドレについて書いたのか、自分でもまだよくわかってない部分もあるんですが、思い返してみると、自分に課した三つの禁止事項があったように思います。ひとつは、「作品」という単位で作品を記述することをやめるということ。たとえば、同じ作家の作品AとBを比較して、作品Aの方が良いとか、作品Bの方が悪いとか、そういう記述の仕方をやめる。だから、アンドレの作品の、再制作あるいは再生産の問題について書いた。もうひとつは、作品がある種の人間的な主体の生産によるものである、と考えるのをやめること。そのため、「労働」という問題設定から、アンドレの作品について記述するということを試みました。アンドレの作品は、木材がただ置かれてるとか、レンガが積み上げられているとか、そういった作品で、誰でも半ば自動的にできるんですね。積んだり置いたりすれば、子供でも誰でも作れるんですけども、そういう一回的な行為の反復を、「労働」という切り閉じることなく過酷に反復される行為を設定することで記述しようとした。あと、アンドレは、他の美術家や批評家たちとアート・ワーカーズ・コアリション(芸術労働者連盟)の結成に参加して、ヴェトナム反戦運動なんかを展開していたりします。そのような運動と、アンドレの芸術形式の問題とは分割できないんじゃないかという直感があって、作品形式の厳密な記述だけによって作品構造を分析するような批評を、アンドレにアート・ワーカーズ・コアリションの運動を導入することによって、やめようと思ったんですね。この三つ目の禁止事項は、平たく言うと、いわゆる「芸術か政治か」という二項対立で作品を記述しない、ということです。それで、アンドレの積むとか置くというような単純な行為の連続に着目したわけです。
 でも、作品という単位を安易に前提としないとか、「作品」という概念をまず疑ってみるということは、それほど新しい議論ではなくて、作家という条件、あるいは作品という条件は、もともとポスト構造主義以降、たとえばロラン・バルトやミシェル・フーコーなどによって批判されてきているわけです。ただ、常識的に考えると、「作品」というものがあったとき、それを手掛けた人がいないという事態は考えられない。作品があれば作家がいる、というのは常識として言わなければならない。バルトやフーコーも、作家という主体を丸ごと否定したわけではなくて、「author」は否定するけど、行為の主体としての「writer」は擁護する、というような立場だったと思います。いわば僕には、authorとしてのアンドレではなくて、writerとしてのアンドレ論を書くことができないだろうか、という意識があったように思います。
 それから、置くとか積むとかという単純作業を「労働」であると書いたわけですけども、それは高度な技術、職人的技術ではなくて、誰にでもできるような、極めて弱い技術です。弱い技術によって成立している、弱い主体というか、作品から一歩引いた、あるいは作品に隷属するような、そういう主体性のあり方みたいなものを、どうやったら記述できるのか。勿論、ある種の「主体」をアンドレ論では強調したわけですが、そこでは主体性の復権ということを言いたいのではなく、むしろ、「物」としての主体、オブジェクトとしての主体としてアンドレがいる、と考えた。
 たとえば作家というものをアリストテレスがどう考えたかというと、アリストテレスは「建築」と「建築すること」を区別することから始めたんですね。アリストテレスによれば、「建築家」とは何をしていても「建築家」であって、テレビを観てゴロゴロしていてもいざというときに建築の設計ができれば、「建築家」である。つまり、建築家には「建築家性」とでも言うべき能力が備わっている。では、そういう秘められた、普段は内に籠っているような能力をどうやったら記述できるのか、ということがアリストテレスの問題です。アリストテレスは、建築を行うことのできる能力のことを「潜勢力」と呼んでいますが、実際に建築家が建築を手掛けたときには、「現勢力」に移行すると言ってます。現勢力に移行することで、オブジェクトとしての建築ができるわけですが、これを「実現態」と言う。この実現態とは、美術の場合だと「作品」に該当しますが、その前提には、デュナミス=可能態というものが、作品の背後にあるのではないかと見ているわけです。
 このことに注目したのがジョルジョ・アガンベンですが、この可能態=潜勢力についてアガンベンは、建築家ではなくて、ハーマン・メルヴィルの小説『バートルビー』から分析しています。バートルビーとは主人公である代書人の名前ですが、彼は事務所で働いているとき、まったく上司の言うことを聞かないんですね。事務所で仕事をしている素振りをして、ちゃんと見ると何もやっていない。「何もやってないじゃないか」と上司が詰問すると、「しないほうがいいのですが」って繰り返して、結局動くことも食事を採ることもやめて死んでいっちゃう、そういう悲しい主人公なんですが、むしろアガンベンはそこに可能性を見ています。彼のロジックでは「何もできない」のではなく、「何も成さないということができる」というほとんど冗談のような命題が『バートルビー』にはあるのだということになる。美術批評家からすると、これはあまりに哲学的というか思弁的な命題ですが、それを美術評論の問題として見ると、作品を記述するときに、その背後にある、行為の主体の潜在性みたいなものを考慮しつつ作品記述に臨むということは、ひとつの倫理的な態度としてもあり得るんじゃないかと思ったのです。なぜなら作品には、すべてが作者の意図によって実現されているのではなくて、偶然的なものが絶えず注入されているようなところがある。しかし潜勢力を中心に考えたとき、批評の現場で延々と繰り返されてきた、作品の細部が意図されて実現されたものなのか、それとも意図せずして実現されたものなのかという、ほとんど不毛な対立を無効にするようなところがある。つまり、何かを実現することが、あるものを生産することの可能性のすべてなのではないということです。そこでは実現されなかったことも実現されたこととして考慮される。僕がアンドレ論でやろうとしたことは、そのような、「しないことをする」というか、そういう主体や行為のありようを分析するということなんじゃないかな、と思ってます。

雨宮 裏側にある主体を通して作品を記述したいという話でしたが、今回の「芸術評論募集」での審査員の話によると、ここのところ作家論がすごく増えているそうですね。作家論ということについて、沢山さんが持っているような意図は、同時代的に共有されているんでしょうか。作品単位でものを述べるよりも、その裏側にある主体を見透かした上で作品を述べていくっていうことと、その作家論が増えてきたこととは、直接的な関係があるのかどうか。もしそれがあるとしたら、同時代の書き手において共有する部分があるんじゃないかって思うんですが。

沢山 あると思いますね。作家論って、結局、作品を連続して作ってきた人のことじゃないですか。斎藤義重なら、「斎藤義重」という名前のもとに組織される作品群であるわけですよね。その作品群の記述が作家論に結びつくのでしょうけれども、作家という主体を前提として書くことと、作家という主体をある種の概念枠として提示することと、ふたつに分かれると思うんです。

雨宮 なるほど、なぜそれを聞きたかったかというと、僕が作品をつくる人間で、まだ僕は作品を全部作り終わってないじゃないですか。まだ死んでないというか。だから、歴史的な縦の時間軸は自分では総括できるはずがなくて、代わりに、というわけではないですが、興味としては同時代的な水平の時間軸のことを知りたがってしまうんですよ。その同時代的な水平軸と、土屋さんや沢山さんがお話されたようなことが、どこに交差してゆくのかということが、非常に興味深いところですが、それはひとまず措いておいて、それでは粟田さん、お願いします。

基調報告:粟田大輔

粟田 私はもう少し具体的に、自分のやっている仕事に則して話したいと思います。ちょうど今、テートモダンで「POP LIFE: ART IN A MATERIAL WORLD」という展覧会が開かれています。これは、ポップライフということで、ウォーホルからハースト、クーンズ、村上隆までを含む展示なんですけど、ここで「マテリアル・ワールド」という語があげられている。日本語で言うと「物質社会」ということだと思いますが、おそらく大量消費社会における物質の氾濫の中で産出された現代美術の動向に焦点があてられている。私自身もここ数年「マテリアル」という観点からこの時代のことを語れないかと考えていたんですが、物質主義(マテリアリズム)とは違い、むしろ時代がポストマテリアリズムへと向かう局面において、単なる物質や素材の呈示ではない同時代の動向を照射することを模索しています。それで2008年4月に「ヴィヴィッド・マテリアル」という展覧会を組織しました。展覧会に関しては『美術手帖』に座談会(2008年7月号)が掲載されているのでそちらを併せてご覧いただければと思いますが、出品作家たち(池田剛介、大庭大介、塩原れじ、名和晃平、田幡浩一)の作品、たとえば名和晃平には化学反応を限界までコントロールすることによって成形した立体、大庭大介であれば見る位置によってイメージの立ち現われが変容する絵画、田幡浩一の場合はインクがなくなるプロセスそのものをアニメーション化した映像を展示してもらったんですが、そこには事物のシステムに従属しながらも、新たに内在的なシステムを構築していくような指向性が見られる。要は、物質のもつフィジカル(形而下)の複雑さに浸食しかつ浸食されながら、それらを成り立たせているシステム自体を書き換えていくような現われが見出されるように思います。
 もうひとつ、これらの作家の特徴だと思うのは、沢山さんも「行為の主体」という言葉をあげていましたが、主体性そのものが単一の「私」というものではなく、マテリアルを介して複数に開いていくような状況が見られるということです。アリストテレスがエイドス(形相)とヒュレー(質料)という語をあげて論じているように、制作するという行為には、通常ある理念があって、そこから材料を選択するというプロセスが取られますが、彼らの作品には、行為を含む質料性のレヴェルにおいて、可塑的な様相を帯びながら形相が分化して複数化していく。そういうプロセスが見受けられるのでないか。
 しかし、こうした物質とか世界との関わり方に関して、単に同時代的な傾向として収斂させたいわけではなくて、土屋さんが「連続性」と発言されていましたが、人間と物質の関係において切断されつつも脈々と続いている「原もの性」というか、「事物」に対する具体性も同時に見ていきたい。たとえば、吉原治良は1956年の「具体美術宣言」で、メンバーの一人である木下淑子の作品について「化学薬品を濾紙の上でかけ合わせることによって不思議な空間をつくり上げた」と記しています。吉原はこうした作品を「個人の資質と選ばれた物質とがオートマティズムのるつぼの中で結合されたとき、われわれは未知の、未だ見て経験しない空間の形成に驚いた」と解していますが、名和晃平の作品にも「未知の空間の形成」に通底するようなヴィヴィッドな、事物としての具体性があらわになっているように思います。
 ただし、当時アンフォルメルという絵画運動がありましたから、具体美術協会はそこでミシェル・タピエと接触するわけですね。だから、具体の問題とは、絵画の問題でもあり、物質の問題でもある。中でもタピエは位相数学(トポロジー)に傾倒しているんですが、位相数学の観点でいうと、その後の高松次郎や関根伸夫の仕事にも看て取れる。2005年に国立国際美術館で行われた「もの派—再考」という展覧会がありましたが、ここでも「もの派」の根源として、位相数学的な作品群を集めた「トリックス・アンド・ヴィジョン」展(1968年)があげられています。しかし個人的には、この時代のさまざまな活動を具体からトリッキーな美術を経た「もの派」に集約させていくのではなくて、あくまでも「実践」という行為を前提とした「事物」の観点からとらえ直したい。言うならば「こと(事)」と「もの(物)」が未分化な状態として重なり合っている「事物」からの視座――榎倉康二の論文では、まさに彼の作品を「もの派」としてではなく、物理的かつ視覚的な層の接触からなされる「出来事性」の観点から再解釈することを試みています。
 「もの派」と称される傾向が少し落ち着いたあたりで、峯村敏明、たにあらた、柏原えつとむ、堀浩哉、彦坂尚嘉によって、1973年に「〈実務〉と〈実施〉・12人展」という展覧会が開かれています。ここでは「制作(ポイエーシス)」よりもむしろ「実践(プラクティス)」というスタンスから、他律的なシステムを介在させつつ「生の全局面を逆照する」という姿勢が提示されている。会期は2期に分かれていたんですが、出品していたのが、狗巻賢二、柏原、北辻良央、野村仁、(柴田)雅子+尚嘉、米津茂英(ここまでが前期)、稲憲一郎、高見沢文雄、田窪恭治、堀浩哉、山中信夫、渡辺哲也といった、どちらかというと「非もの派」と呼ばれるような作家たちです。後に峯村さんは「事物」と「事物のシステム」を区分しているんですが、ピンホール・カメラによる画像の歪み(山中)や、重畳させた撮影装置によるイメージの生成(高見沢)、「視覚のブラウン運動」と称した日常風景のコマ撮り(野村)、他者への依頼を介した作品の再現(柏原)など、システムは既にある、そして、そのシステムに則って実践をする、という手法が取られています。また、北辻の作品には、長崎県男女群島の地図をフリーハンドでひたすらトレーシングペーパーにトレースしていくものがあるんですが、そこには繰り返しシステムを実践していく中で、「こと(事)」と「もの(物)」が連鎖する「動きつつあるゲシュタルト」と言えるような様態が看て取れる。
 こうした様態は、イメージが線や色へと分断しつつバラバラに解体していくような、田幡浩一の《track and trace》というシリーズにも通底している。あるいは野村仁のダンボールが崩れていく《Tardiology》などがそうですが、単に無限とか理念に回収するのではなく、この世界を事物からの観点によっていかに再構築し直すか、という態度を持っている。名和さんは野村さんの教室に在籍したんですが、作品における直接的な関連性はないものの、システムを連動させながら制作を押し進める態度は受け継がれているようにも見えます。また、金氏徹平の「しみ」の作品なども、「こと」と「もの」の構造から榎倉の作品と比較してみることもできる。このように個々の方法論に立脚しながらも、「事物」という視座からある種の「連続性」のようなものを読み取っていきたいと考えています。
 1978年の『美術手帖』の「美術年鑑」に「いま、あえて〈制作〉を」という座談会が掲載されているんですが、そこで彦坂さんは当時、新たなポイエーシスを生むためにあえてプラクティスを肯定した、ということを言っている。その上で、「〈実践〉の自己目的化」を乗り越えるべきだ、と。私も、ここで言われているような実践でありながら形式主義(フォーマリズム)に陥らないという制作から、矮小化された個人主義(エゴイズム)とは別の表現が産出されるように思います。それはもはや「制作」ではなく、「実行」といった態度としてとらえる方がよいのかもしれない。実際、今日の作家たちは、単一のものとして絵画あるいは彫刻といったメディウムに回帰していかない。彼らがそれを自覚的にやっているかどうかというと、それはわかりませんが、全体としてのフレームなりシステムを相対的に書き換えていきながら、さまざまなメディアへ横断していく。幸か不幸か、「私」というアイデンティティ自体も、複数に並立し、遍在しているような実感もあります。私たちの「生」が何らかのシステムによって規定されている以上、既成のシステムをいかに批判的に書き換え得るのか。今後は主体性やシステムの変容を踏まえた上で、このあたりの問題を看て取っていきたいと考えています。

共同討議1

雨宮 ありがとうございます。たくさん情報があったので、質問が間に合わなかったんですが(笑)。最後の方に出た主体性の話なんですが、面白いと思うと同時に、もう少し先の話をお聞きしたいと思うのですが。ネット環境などからの影響で、主体性自体があらかじめ複数性を帯びる、という話はよく言われていることだけど、制作のことに関して言えばそれだけじゃないよな、という感じがあるので、その先のことを聞きたいな、と。

粟田 誤解のないように言っておくと、名和さんにしても大庭さんにしても「マテリアル」とは関係ない文脈も当然ある。その上で私が言おうとしているのは、彼らの制作の動機みたいものが、内的なものというよりも「事物」の向こう側からやってくるような感覚を受けるということです。「その先」という話となると、それはむしろ雨宮さんに作品として提示してもらいたい(笑)。

雨宮 はいはい、それはやりますし、僕はしゃべり出すと大体「決意表明」になってしまうので今日はあまり自分の作品については話さないようにしますが(笑)。では、ちょっと違う角度でお聞きしたいのですが、お話の最初の方で触れられた、「他律的なシステムを作品の中に援用している作家」という話と、最後の方で触れられた「複数性」の関係について聞かせていただけますか?

粟田 多分それは歴史の問題と絡んでくると思いますが、そもそも「芸術のための芸術」とか、「作品のための作品」とかアプリオリに単一の約束事があるのではなく、というよりも、日本にはそもそもそんなものがあったのかどうか。僕は今日その辺を、沢山さんと土屋さんと議論したいと思っています。日本において、芸術のあり方というものが、西洋のそれとは当然違うのではないのかと思いますが、いかがですか。

沢山 先程の粟田さんの図式ですが、形相についてアリストテレスが述べているときに、アリストテレスはプラトンの影響を受けているので、形相とはプラトンにおけるイデアを引き継ぐものだったわけですよね。プラトンにとってイデアは実体と関係をもたないものだったのに対してアリストテレスはプラトンのイデア論を批判して、逆に形相が物質から乖離していないがゆえに、物事が成されるのだと考えました。形相はアリストテレスによるとお菓子の型みたいなもので、それに質量をはめ込んで実現していくと具体的なオブジェクトになる。で、その過程がポイエーシスであると。ポイエーシスは制作、プラクシスは実践と、日本語では訳されます。でも、アリストテレスが言うような形相と質量、形式と物質との無媒介的な等質性は近代以降批判されていますから、その図式自体がほとんど瓦解していると思います。
 粟田さんがアンフォルメルの話をされて思ったのですが、アンフォルメルにもアリストテレス的な図式にたいする抵抗が内在されていたと見ることもできるかもしれない。「具体」ともアンフォルメルは半ば協働してやっていたわけですが、たとえば宮川淳さんが「アンフォルメル以後」(1963)という論文で主題にしていたのは、アンフォルメルの絵画に見られる物質と行為の弁証法的な関係による表象過程の自立、ということでした。その文章で宮川さんは、ある種の個我の表出、つまり外在的な要素によって圧迫されないような表現主体が物質的に提示されているというアンフォルメルや抽象表現主義理解をやっつけている。つまりある主体を設定したときに、物質という外在的なもの、これを比喩的に他者と言ってもいいと思いますが、そういうものとの衝突なしにアンフォルメルはありえなかった。つまり宮川さんにとって絵画を生産するということは無数の物質的・人間的抵抗を含みうるものだったと思うんです。もうひとつの批判の焦点は、50年代後半から日本ではアンフォルメル旋風というのがあって、アンフォルメルが圧倒的に流行る、模倣されるという現象が起きた。そこには、絶対的に他者と共有できない内在的な過程から導き出されてきたと瀬木慎一らによって説明されてきたもの、つまり本来様式化されるはずのないものが様式化されてしまうという構造的な破綻があった。それを宮川さんは指摘した。針生一郎さんも、タピエが日本に何度も来て、日本にアンフォルメルをテコ入れしている、というようなことを言っています。それは茶番以外のなにものでもない。
 たとえば粟田さんのお話のなかでも、可塑性という話がありましたけど、物体には可塑性が必ずありますよね。可塑性があるものが物体として提示されるということを言い換えると、物体の条件は可塑性である、とも言えると思います。物質がなぜ可塑的であるか、物が変形するかというと、そこに人間の行為や意識が介在するからですね。アンフォルメルや具体は物体の可塑性を前提としてやってきているところがある。むしろ物体の可塑性を極度に強調するわけですね。先程具体やアンフォルメルにはアリストテレス的な図式に対する批判があると言ったのは、そこでは質量と形相とが絶えずズラされ、スライドしていくことによって運動表象が定着されるからです。しかし、それが制作されてタブローになったときに、白髪一雄の作品でもいいですけど、油絵具の可塑性を使ったものは、それが一回定着されると固体化してしまうわけですよね。
 「可塑性」を辞書的にいうと、一回変化すると元に戻らない、という意味らしい。それで、「ヴィヴィッド・マテリアル」に出品された作品などを見させてもらって、具体がやろうとしたある種の表現性っていうのは、物質を活性化させるもので、それをコンセプトとして定着させるということなんだろうと思いました。だけど、名和さんもそうですけど、今の作家の作品だと、物体をヴィヴィッドで視覚的に変容してゆくもの、つまり可塑的なデータとしても扱うわけでしょう。データというのは、可逆的な可変性があるということです。いわゆる「脳の可塑性」と一緒で、事故に遭っても変化できるということです。そうすると、現代における可塑性と、具体やアンフォルメルの時期の可塑性とは、ちょっと違うんじゃないかと思うのですが。

粟田 そうですね。おっしゃる通り、たとえば1950年当時の主体性のとらえ方などみても、今日の作家たちと異なっているように思います。1955年7月号の『美術批評』で、針生一郎の司会で「新しい人間像に向かって」という座談会が行われているんですが、そこで「人間と物質」が議題のひとつとしてあがっている。もちろん単一の自己というものが、本当に日本に根づいていたかどうかはわかりませんが、ここではあくまでも単一の「人間像」を前提に議論が展開されているように思う。先の「具体美術宣言」をみても、「人間と物質」が対立していることが前提とされています。けれども、現代の僕らにとって、こうした対立軸が依然として残っているかというとそうではない側面がある。そこが、沢山さんが指摘された部分だと思います。私が「マテリアル」と言うのはむしろ、単一の主体に抗するソリッドな物質ではなくて、「人間/物質」といった二元的な対立ではないまさに「あいだ」のような別のインターフェースとしての可能性を考えていて、それを可塑性という言葉に置き換えているんですが、当然1950年代と現代とは異なる部分はあります。

雨宮 土屋さんはそのあたりいかがですか?

土屋 お二人の話を聞いていて、アプローチの仕方は違いますが、基本的にはそう遠い話をしていないと思います。端的に言うと、主体が作品をリプレゼントしないということでしょう。いかにリプレゼンテーションを回避するか、ということですよね。そういう言い方は、今まで散々されてきたし、けれども今後もされるべきなのかも知れない。粟田さんの言い方だと、特定の主体というものの生産物ではないもの、まさに対立項の「あいだ」で生産されるような作品という事態が、今日のある種の美術のあり方であって、それが今日的な問題を形成している、ということですよね。一方、沢山さんがおっしゃったのは、たとえば「アンドレの作品」というかたちで見えているものを、ワークではなくレイバーである、すなわち労働という観点で捉えることによって、単一の作家=主体を作品というものに還元されないようなかたちで、作品を記述することができないか、ということですよね。粟田さん、沢山さんがおっしゃっている内容自体には、大きな異論があるわけではないのですが、けれども批評という点においては、どうなんでしょう。
 私にとって文章を書くということは、かなり自己言及的な行為です。確かに理屈では、複数の主体に私自身が引き裂かれつつ生きている、とは言えます。実際、文章を書くという生産過程において、私が複数の主体によって分裂するような場合はある。たとえば、文章を書くという生産過程があまりにしんどいので、没主体的にYouTubeとかニコ動とかを延々見ちゃったりするときが、仮にあるとします。しかし生産物をまとめ上げなければならないとき、仮想的なものではあれ、主体を立ち上げる必要がある。そうしないと、YouTubeの無限ループから抜け出せない(笑)。そういうふうに、ごく世俗的なレヴェルで言えば、確かに複数の主体はある、と言えるかもしれない。けれども、文章を生産する行為が、極めて主体的かつ自己言及的なものであるとするならば、お二人にとって、そもそも文章を書くというモチベーションは、どこに設定されているんでしょう?

粟田 私の場合は、美術について言論するときの主体と、それ以外の主体は完全に分裂してしまっているように思います。そこに二つの自己があるので、単一の自己言及的な主体があって、それが自分の生活に還ってくるといったような書き方ではないかもしれない。

沢山 作家もそうだと思いますが、土屋さんがさっき言ったような、能動的に何かを行うということは、実際はかなり受動的にやっている部分が大きい。だいたい、能動的に「これを作りたい、これを書きたい」と思ってやっている人は、もしかしたら幸運な人なのかもしれない。僕なんかはそういうタイプの人間ではなく、あえて自己言及的にいいますが(笑)むしろワークというより、レイバーとしてやっている部分がある。作品と違うのは、言葉という公共化されたツールを使っているにもかかわらず、日本語であるという矛盾があるところでしょうか。公共化されているのに全然グローバルではないドメスティックなツールを使って、批評を書いている。そこで言えるのは、主体性をもって書いているけれども、他者の同意を得ようとすることが基本条件である、ということです。「これはこうである」と、独断でやってもしょうがない。むしろ、「これはこうでしょ?」というような、ある種の同意を求めるような問題設定がなければならない。そのために言葉は論理性をもっていなければならないし、それが批評の条件でもあると思います。だから、主体的に書いていると言うより、自分を少しだけ脱主体化して、他者になりかわって書くというようなことも、批評の現場においては必要になってくる。ある種のねじれというか、複数の場所に引き裂かれている状況が、僕にとっての批評なのかもしれないと思います。

土屋 他者を成り代わるということは、他者にプレゼンするということ?

沢山 いや、たとえば「この作品いいでしょ?」ということを、独断的に言ってはいけないわけですよね。まず「なぜこれがいいのか?」ということを言わなければならない。「この状態においてはこれはこういうことになっている」と説明するためには、その相手と何を共有していて、何を共有していないのか見えていないと、書けないと思うんですよね。

土屋 文章を書くという動機付けというのは、確かに外在的に与えられるわけです。原稿依頼で書いたり、よく分からないもの――たとえば「美術犬」とか(笑)を始めてしまったり。これは確かに、他律的であるといえるかもしれない。でも、自分がやってしまった行為やその生産物には、署名をするわけです。そこで、自分がやっている行為をレイバーであると言い切れるかというと、かなり怪しい。たとえば、沢山さんが書いたアンドレ論において、「沢山遼」という署名がなくてもいいのだろうか、という素朴な問題があると思う。私は文章を書くという行為に、そこまで隷属的にはなれない。それは単に私が子供なのかもしれないけど。

粟田 ただ一方で、既に違うペンネームで、どこかで書いている可能性もある。私の場合もたまたま『美術手帖』で受賞したときの名前が粟田大輔だったわけですが、単一化された自己像と向き合うのがひどく億劫なこともある。だから、たとえばペンネームを使うことで違う自己を形成することもひとつ手なのかもしれません。

土屋 手かもしれないけども、それをやったところで何なんだ、ということです。

粟田 逆に言うと、「土屋誠一」だからこそ、書けないことってないですか。僕はあるんですよ。「粟田大輔」ということ自体で少なからず自己抑制してしまっているところがある。デュシャンのローズ・セラヴィじゃないけれど、それは別の人格を形成することで解消できる問題なのかもしれない。

沢山 たとえばサインするとか名前を書くということで言うと、自分が毎日日記を書いているそのノートに、名前を書いたりはしないわけですよね。あるいは夜な夜なこっそり詩を書いているときに、そこに「沢山遼」とは署名しない。名前を出しているということは、自分のことを公共化しているということなので、もちろん自分自身を主体として書いているけれども、それは「外に出ている者として書いていますよ」ということのためです。他者に成り代わる、ということは、自分が「非・沢山遼」になるという意味ではないです。

雨宮 えっと、話を切るのは心許ないのですが、時間的に、もうすぐ休憩を入れようと思っているので。今の話で面白いなと思ったのは、自己とか主体性の話が今回ずっと続いてて、自己と書き手の話になっていて、沢山さんのアンドレの労働の話から自分の話が労働になっていて、そのダイナミックな感じが結構おもしろかったです。それに対して粟田さんの自己を分割しているっていう話、日常レヴェルでしゃべっている自分と、美術のことを語るときの自分のこと。その辺りが非常に興味深いところです。

粟田 それが本質的なところなのではないでしょうか。

雨宮 いま触れているところは面白いですが、時間が少なくなるのは目に見えているので、いささか強引かもしれないですが「批評」という原理的なテーマに戻りつつ行きたいと思っています。沢山さんにしても土屋さんにしても、『モダニズムのハード・コア』を見て驚いたという話をしていましたよね。先程話されていた主体性の話に接続する可能性もありますので、バカな質問かもしれないけど、批評を始めた理由のもっと原体験みたいなものをお聞きして後半の討議の理解の助けとしたいと思います。『モダニズムのハード・コア』など、今まで触れたことのない「批評」に出会ってシビれた以前の、そのまえにそもそもなぜ美術に触れたのか? そこをお聞きして休憩にしたいと思います。ごく短くでいいです。言いたくなければ言わなくていいです。「私のスタンスとしてそれ言っちゃうとちょっと……」ということであればパスでいいです。

粟田 私自身は、もともと建築家になりたかったんですよ。それで建築の勉強をしていたんですけど、いろいろあって、どうしようもなく絶望したわけです。で、もう辞めようと。そのときなんとなく頭の隅に美術というものがへばりついていて、私にとってそれは一種の闇だったわけですが、それに対峙してみようと思ったことが、いまこの場にいる一つのきっかけと言えるかもしれない。

雨宮 なるほど、わかりました。沢山さんはお答えいただけますか?

沢山 僕は倉敷出身なんですけど、大原美術館というのがあって……。ということを言うと、大原美術館があったから絵を好きになったのか、と言われるわけですけど、それが理由ではないんです、たぶん。自分が絵を見たりするのを好きになった理由というのは、正直いうともうあまり思い出せない。でもそれが中学生くらいだったというのは記憶しています。そこから飛躍して美術批評を始めたきっかけというのはそんなにはっきり断言はできないですが、批評というのはある種の芸術的な感性のレヴェルと論理的なレヴェルの両方が必要だと思うんです。僕の場合もともと哲学とか思想に対する興味と芸術に対する興味が両方あって、それで芸術系の大学の芸術学ができるところに入った気がします。

雨宮 土屋さんは?

土屋 ちょっと誤解を招く感じに聞こえるかも知れないけど、基本的には、美術に関心があったから美術評論を始めたわけではないんです。たまたまそのときに勉強していたことが美術だったので、美術について書いたら、書き始めることになってしまった。なので、そもそも美術作品に感動したことがあったとか、それについて何かを知りたいというところから始めたのではなくて、むしろものを書きたいというのが先にあって。だからその動機付けというのは、端的に「評論」が好きだということです。これは後半の話にも触れるかもしれないから、あえて乱暴なこと言うと、私が評論を書く際には、「美術作品はなくても、美術評論は書ける」と思っているところがあります。

雨宮 それでは15分後に再開したいと思います。

共同討議2

雨宮 では、残り時間も少なくなってきましたが、後半を始めたいと思います。前半部分で出た話で突っ込んで聞きたい話もたくさんあるのですが、時間的に難しい感じです。会場にいらっしゃる方は、最後に質疑の時間を設けますので、もし質問がありましたらご用意しておいていただければ、と思います。前半部分の最後の方で触れた、批評に対する各々の立場についての話を受けて、さらに批評の実践の、現実的なお話しをお聞きしたいと思っています。今現在、批評がどのような地平に立っているのか? 少なくともそれだけは、触れておきたいと思っているのですが。

粟田 その前に1つだけ、最初にあった質問について良いですか。土屋さんが言っていた「歴史の問題」についてですが、あれは「批評家として歴史を読み解く」というのと「美術史家として歴史を読み解く」という二通りのスタンスがあり得ると思います。土屋さんは当然「批評家として」だと思いますが、それについてどのように考えていますか。

土屋 今問いかけられたことは、まさにこの後半でお話ししようと考えていたことです。いま手元に、『美術批評と戦後美術』(ブリュッケ、2007年)という、2004年に美術評論家連盟が結成150周年に行ったシンポジウムをまとめた本があるのですが、たとえばこのように、戦後美術における言説を歴史化するような作業が行われています。私自身、戦後に書かれたテクストを読み返す機会がしばしばあります。そこで常々思うのは、40年前でも50年前でもよいのですが、今日の視点からその頃に書かれたものを読み返してみると、何が書いてあるのか、意味が解らないテクストに多く突き当ります。私の読解能力に問題があると言われればそれまでですが、恐らくそれだけではない。美術について語られる言葉が、きちんと歴史的に継承されて来なかったのではないか。かつての美術批評のテクストが読み取り難いのは、そんなところがその理由なのではないかと思うのです。私自分がテクストを生産するにあたって、ではどうするか、ということを申すと、何らかの共約可能なフォームをあらかじめ決定しておかなければ、そのテクストは何を言っているのか解らないだろうと思うのです。先程、沢山さんがおっしゃられたように、テクストが読まれる他者をきちんと想定しない限り、そのテクストはただのモノローグに終わってしまう。そこでは、テクストの拠って立つフォームを、嘘でもいいから構想する必要がある。そのための参照項として、過去の美術批評の蓄積を再検討し、一見何を言っているのか解からないテクストであっても、いま一度解きほぐす作業が必要なのではないか、と考えています。それは、クリティックに対するクリティック、いわばメタ・クリティックということになるのかもしれませんが……。先程私が言った、「美術作品が無くても美術批評は書ける」ということは、そういったことにも関わる話です。美術批評は必ずしも、美術作品について述べられているものでなければならない必然性はないわけです。
 もう少し別の角度から、過去の美術批評の変遷を追ってみます。さっき例に出した『美術批評と戦後美術』という本の中で、針生一郎さんがこんな言い方をしています。針生一郎、中原佑介や東野芳明、あるいは石子順造とか、さらに宮川淳とか岡田隆彦なども加えてよいのかもしれませんが、そういった50年代から60年代にかけて美術批評をリードした批評家たちは、「批評の自律性」を目指していた。それから、70年代以降の批評家たちは――これはおそらく「もの派」以降の世代を指しているんだと思いますが――、「批評の自律性」よりもむしろ、「作品の自律性」のを優先するようになった、と。この言いかたは、良く分かります。この「自律性」の変遷は、美術界を形成する下部構造によるものです。その下部構造について端的に言うと、70年代以降に美術館がたくさん建設される、ということです。美術館で生産される批評的言説は、必ずしもテクストという形をとらなくてもいい、展覧会という、美術作品に即した形式をとっていてもいい。つまり、美術における批評の在り処が、美術館という公的なインスティチュートによって代理されるようになった、ということです。では、それ以前はどうであったか。大雑把な年代区分ではありますが、70年代以前に下部構造にあたるものは、たとえば『美術手帖』などの雑誌メディアだったわけです。実際、50年代から60年代にかけて活躍した批評家たちは、ほぼ毎月のように長いテクストを、『美術手帖』に寄せていたりする。要するに、「批評の自律」が可能であったのは、原稿収入だけでわりと生きていけた、ということでもあるでしょう。
 先程、雨宮さんは「ここに座っている3人は美術評論を生業としている」と言っていましたが、実際のところ収入としては「生業」になんてなっていない。批評だけで「生業」になっている批評家など、ほとんど存在しないでしょう。そこで、今現在の状況に即して言うならば、そもそも下部構造が存在しないのだから、美術批評など必要ないのではないか、という問いも出てくるかもしれない。そうは言いながら矛盾するようですが、私は「美術批評家」という肩書きで文筆活動をしています。私にとって文章を生産しようとする動機は、批評の歴史的な系譜を意識しつつ、その上でいかに考えていくか、ということに、多くの場合基づいています。食うために書いているわけではないので、そんな動機がない限り、一体何のために書いているかわからない。少なくとも私にとっては、美術評論が自律し得るような状況を構築していかないと、そもそも評論なんて書いたって意味がないのではないか、と思うわけです。つまり、他律的に与えられる「作品」という対象がなくても美術評論が書ける、というモチベーションがない限り、評論を書くことができない、ということです。粟田さんはどうですか?

粟田 作品の場合も同じだと思うんですが、もちろん他律的に与えられただけで成立するとは思ってはいません。あくまでも外在的な動機のようなものに従属しながら、内在的に再構築できるか、ということです。単純に自然現象をあるがまま置いたところで、それは表出行為とは言えないですよね。

土屋 いや、私がお伺いしたいのは、作品が自律するか否かではない。粟田さん自身が批評を書く場合、そのモチベーションをどういったところに置くと、粟田さんのテクストが生産されるのか? ということ。

粟田 土屋さんは、「土屋誠一である」ということのために批評を書いている、ということですよね、おそらくは。批評の立場に戻って言うと、先ほど40年前、50年前の批評を読むと、何を書いているかわからない、と仰っていましたけれど、たとえば中原佑介の「創造のための批評」(1955年)という、第二回の芸術評論募集で受賞した文章があります。私はこのスタンスにとてもシンパシーを感ずる。ここでは、自己の生とかかわるような批評を書いて、何になるのか、ということが問い直されている。批評は、作品を解釈するものではなく、変革するものでなければならない、と。なので、私は何らかの表出として「作品」を前提としています。そうじゃないと、美術批評はできない。同時代はもちろん過去の作家をみても自覚的な人もいれば無自覚な人もいて、そこにコンテクストをどのように与えていくか、ということも、批評家のひとつの役割であると考えています。作品が潜在的に持っている可能性を引き出し、それを変革していく、ということが、私が現段階で考えている美術批評です。だから、中原さんが当時言っていた「創造批評」というスタンスを軸にしていると言えるのかもしれない。

土屋 素朴な疑問を加えさせてください。私は作家が無自覚であるとは思わないけれど、ここではひとまず、無自覚で何も考えていない頭の悪い作家が仮にいると想定してみます(笑)。そいつは、わけもわからないまま、作品らしきものを作っている。で、そこに言葉を与えてやることによって、その作品らしきものが持っている内在的な可能性を抽出する、と。粟田さんが仰ったことを乱暴に単純化して言い換えると、そういうことになると思うのですが、そもそも、なんでそんなことをする必要があるのか。そんなものは、作品を生産している作家本人が勝手にやればよいのではないか、と私は思うんですね。もちろん私自身も、そういった、いわば通訳的な役割は全然していない、というわけでもありませんが。けれども、言語的に未分化な作品を言語化して、クリアに見えるようにしてあげましょう、というようなボランタリーなモチベーションの在り処は、一体どこにあるのか。それをむしろお聞きしたい。

粟田 そもそも美術批評家になることが目的で文章を書いていたわけでもないし、結果的にそういう立場で公の場に出ることが少し多くなってきたのだけれども、それではいけないから自分なりに「美術批評」という文脈に対して責任をとっていく必要がある、というのが書くことのモチベーションです。私自身もボラティアで翻訳しようとする意識はまったくありません。

沢山 僕は土屋さんと違って、作品が無いと批評ができないと思っています。僕自身、批評を始めたばかりなので、言ってみればビギナーです。もともと批評を始めたきっかけというのは、そもそも、絵を描くとか彫刻を作るというのは僕にとってはとんでもない話で、一から何かを作るというのは想像もつかなかったからです。批評というのはある意味では、一次的なものに対する、二次的なものだと思っているわけです。作品のほうが先行していて、言葉はそれに後続するものである。けれどもむしろ、そういう部分にこそ批評のポジティヴな可能性があるのだと思います。
 土屋さんがおっしゃったように、批評のインフラなんて無いに等しいのは事実です。ですが、批評をやっている喜びというものも、勿論あるわけです。それがないと批評なんて書けないわけですが。とはいえ、そこにインフラが無いということへのジレンマもまた、当然あります。しかも僕は、土屋さんのように『美術手帖』に毎月三本の展評をやるという仕事もやったことがないし、粟田さんのように展覧会を組織することをやったこともない。つまり現場批評的な意味で、批評家かどうかと問われれば、完全に脱落しているような者ですので、そういう面では自分を批評家であるということをはっきりと言うことができません。それで、僕が何をやってきたかというと、一方で現代美術についてのことは書いてきましたが、一方ではその歴史研究みたいなこともやってきたわけです。アメリカの戦後美術を中心として論文を書いてきたわけですが、そのようなある種の二足の草鞋は、今後もやっていきたいと思っているんです。単なる歴史研究だけではつまらないし、現場批評的な意味での批評はもうすでに終わりつつあるだろうという認識もあります。それに抵抗しようという思いは、いま現在ありません。ですが、批評の概念を拡張するというか、再編するというか、ある種の改革をしていくようなことはできるのではないかとも考えています。二足の草鞋と言いましたけれど、書かれた対象にテクストが規定されるということにこそ対抗すべきで、押し並べて美術作品について思考されたものはすべて美術批評であるという姿勢でテクストを生産していくということができないだろうか、ということを常に考えています。たとえば、ある種の現代的な作品が世に出てきたときに、それが重要であれば書かざるを得ないということはあると思うんです。重要な出来事が起こったときには誰かが書かなければならない。そういう事態に遭遇できるかは、書き手の運命でしょう。そういう緊張感は、歴史的な仕事をするうえでも、必ずしも無意味であるとは思えない。そのように同時並行する仕事を統合して、批評の概念を拡張していく、ということはあり得るのではないかと思っています。

雨宮 では、あっという間ですが、そろそろ終了時間も近づいてきたので、会場からの質問をお受けして、そこからまた話を展開させられたらと思います。

質問者A 「美術犬」という名前のついた場所で、美術以外のことをお聞きするのは恐縮なのですが、批評というくくりでお聞きしたいと思います。土屋さんは冒頭で、美術作品を作品だけで判断すると、かえって見誤る可能性があるので、ある意味、文脈だったり歴史だったりを知ることが大事である、というようなお話しをされていたと思います。それと、先程紹介されていた『美術批評と戦後美術』は私も読んだのですが、針生一郎さんなどが、1950年代ぐらいは必ずしも美術批評は閉じておらず、文芸評論家とも交流を持つし、たとえば岡本太郎との交流もよく知られているわけですが、他のジャンルとの交流があったと思います。そこで、今までの討議を拝聴していてお聞きしたいと思ったのが、批評家としてどうあるべきか、ということと作品とどのように向かい合うべきか、という二点については大体わかったんですが、それらはあくまで美術作品に限られてしまっている。ところが批評というものは、絵画のような美術の特定領域から取り出したものとは違って、他の分野におけるコンテクストと美術におけるコンテクストの話でもなんでもよいのですが、他の表現についても批評の対象となるでしょうし、他の分野の文化にまつわる批評についてどのようにお考えになっているのか。それをお聞きしたいと思っています。

沢山 ちょうど昨日、針生一郎さんにインタビューをしてきたんですね。針生さんは、「夜の会」という総合芸術を目指す会合に23歳のときにお入りになった。花田清輝とか岡本太郎とか安部公房とかもそこにいました。それで僕がその時すでに美術に興味をもっていたのかと尋ねてみると、針生さんは「夜の会」にいた時代の後に美術批評を始めたわけですので、それが初めて美術に触れた原点ではあるものの、針生さん自身はいまだに、文芸批評家であるというアイデンティティを持っておられると言っていました。ではなぜ、針生さんが美術批評を始めたかというと、原稿料が高かったからということがひとつ。もうひとつ、ポジティヴな理由としては、「言説は摺り合わせや辻褄合わせが効くけれども、美術というのは実体であってオブジェクトであるから、直接性があってごまかしがきかない。その物体としての直接性に変革の可能性を見いだした」と仰っていました。針生さんの場合、文学か美術かという二項対立ではなくて、そのメディアのどこに積極的な変革の可能性があるのか、ということをメディウムがもつ有効性の問題として考えておられる。これは、アメリカの美術批評の用語で言えば「メディウム・スペシフィック」な問題、つまりその媒体の素材的・技術的特性に応じて文学や美術の可能性を見いだしていく、ということです。それは同時にメディアというものを他のメディアと絶えず関係し、競合するような社会的なものとして見なすということでしょう。僕はそういう部分に共感します。

粟田 私もかつての『美術批評』のように、美術批評家に限らず詩人やいろいろな立場の人が書いているという状況がベストだと思います。この雑誌には「ラウンドテーブル」という投稿欄もあり、読み手からの率直な意見も寄せられていて、「言葉」が次々と連鎖しながら別のテクストを生むといった場がある程度機能してつくり出されていたように思う。私自身のことで言うと、当然演劇や映画についても書きたいと思うけれども、今の段階ではまず「美術」に重きを置きたい。ただし、他ジャンルについても積極的に書きたいというスタンスは常に持っています。

雨宮 では、射程距離としては美術のみを設定しているわけではないと。

粟田 そうですね。『美術批評』を読み返していて面白いのは、美術以外の動向についても論じられていて、それらが「美術」の問題と連鎖しているということです。なので、むしろそういったメディアをつくる必要性を強く感じています。

雨宮 土屋さんはいかがですか?

土屋 今の質問について直接の答えになるかどうかわかりませんし、素朴な実情から話しますが、他のジャンルについて書くことを、私自身比較的行ってはいるんですね。多いのは、写真についての評論や歴史研究のようなものですが。土屋は、美術批評家なのではなく、どうやら実際には写真評論家らしい、という不愉快な言われかたをすることがある。でも私としては、一度も写真評論家であると表明したことはないし、美術批評家以外の何者でもないと思っています。さらに言えば、半ばメディア論めいたことを書くこともあるし、違う守備範囲のことも書いている。昨今では、美術作品と写真作品は同じジャンルのものとして語られることがしばしばありますよね。それはベタに言えば、美術館に写真という形態をもった作品が並ぶことが多いからです。たとえば、杉本博司の作品なんかだと、たかだかペラペラの写真であるにもかかわらず、ウン千万もしたりする(笑)。美術と写真は、同じジャンルであると思われがちだし、実際、同じジャンルであると見ても構わないとは思いますが、美術と写真の歴史的な形成過程は、端的に言って全く異なるわけです。美術と写真、それぞれについての言説の変遷史もまた同様です。
 私自身、それらについてテクストを書く際には、それぞれのジャンルの特性に従って、半ば無意識的に語り分けています。それらが私自身の中でうまく統合されているかというと、全くされていない。たとえば、メディア論めいたことを書くときにも、美術批評家という肩書きは使うけれども、ひとつの語り口として上手く統合することが難しい。そんなジレンマは感じています。語る対象のメディアのサイズと言うことについて、先程沢山さんが述べられていましたが、対象とするメディアやジャンルの差異によって、語りのスタイルや語る方法が、その都度変わってしまうということが、私自身の実情としてはあるような気がします。それは、良いことなのか悪いことなのか……。私自身はあまり良いことだとは思っていないのですが、現状としてはそのようになってしまう、といったところです。

質問者A もう一点お聞きしたいのですが、粟田さんが仰っていた「原もの性」みたいなものは、現代の造形作家の傾向性に止まらないものとして、たとえば映画などもまた、ある種のマテリアルのひとつとしてとらえて見つけ出していく、というような方向に行かれるのかどうか。それをお聞きしたいです。

粟田 私にそれだけの機動力があれば、やってみたい。それから、先ほどの土屋さんの話ですが、土屋さんも写真と美術と、メディアの違いによって他律的な複数性を抱えていますよね。さっきはネガティヴな発言のようにも聞こえましたがが、そこはポジティヴに考えても良いのではないかと思う。

土屋 けれどもそれは、事後的にそのようになっているのです。

粟田 いいじゃないですか、事後的にそのようになっていることは。

土屋 客観的に「土屋誠一という主体」を観察すると、どうやらそのようになっているらしい、ということはわかるんだけれども、私自身のプラクティスのレヴェルにおいて、正しく実践できるかどうかは別問題ですね。

質問者A なぜそのような事を質問したかというと、50年代60年代とかに宮川淳とかが言っていたことは、主体が単一であるような、人間が物質と向き合っていたというようなことが言われていたと思います。ですが、現代ではだいぶ変わってきて、それは美術というものの在りように関係しているのではないかと思うからです。作品を観ることによって刺激が生まれるということでしたが、それだけ聞くとなんとなく閉じた、作風とだけ出会っているようなものに思えます。最初に土屋さんがおっしゃった、「フォーマリズム的な文脈を剥ぎ取った方が本質は見えてくる」ということに近づいてきているように思える一方、実際は違うはずですよね。複数の自他と言ったときの「複数」とは何を指し示しているのかと、お聞きしたかったのです。

沢山 狭い意味での現場批評・状況批評の問題というのは、いわゆる歴史的な「研究」と大きな違いがあって、それは作家が生きているということです。もっと具体的に言うと、作家が生きていて、作品があって、観る人がいて、展覧会場があって、批評が成立する。つまりその意味で、「批評」とは常に制度的なものでしかありえないと思うんですね。作品と真摯に向き合うなんて、作家が生きている以上は不可能だし、実際は猥雑な空間に満ち満ちています。ただ逆に、僕はそのあたりに、ある種の可能性を見てもいいのではないかと思います。

雨宮 もっと聞きたいことも、突っ込みたいこともたくさんあるのですが、時間が迫ってきてしまいました。批評のインフラのこともそうだし、美術作家との距離のことも、先程出た「可能態」のことについてももう少し聞いてみたいところです。余談ですが、さっきの休み時間に、「なぜ可能態の話なんていう、雨宮の作品に近いセンテンスが出たのに自作の話をしないのですか?」なんて、お客さんのひとりに言われました。ですが、今回は評論家にたくさん喋ってもらいたかったので僕の作品の話は控えました。本当は自分の作品の話が一番好きなので、終了後聞きたい人は話しかけてください(笑)。

粟田 じゃあ、逆に最後に雨宮さんに聞いていいですか。雨宮さん自身はいわゆる美術批評と言われるものを読みますか。たとえば、最近面白い批評とかありましたか。

雨宮:基本的にスゲー……読まないです(笑)。それ言っちゃうとどうしてそんなおまえが「批評」の会で司会なんてやってんの?って言われちゃうと思うけど、正確に言うと、実はすごく目にしてはいるんです。ただ、先程50年前の評論が頭に入ってこないと土屋さんがおっしゃっていたけれど、実は現代の、先週出たばかりの雑誌に掲載されている評論だって、目がスベることだってあるのです。それは、スベって当然の場合だってあると思う。なぜなら、世に出てきた美術作品が全てすばらしく心に届く物とは限らない、というかその逆の場合の方が多い、それと同じ理由からです。つまらないものが沢山ある。でも、もちろんつまらなくないものもある。つまらなくないものがちゃんとタイムリーにキャッチできるシステムが無いと、すっごくベタな言い方すると「もったいない」じゃん、と思う(笑)。と言うのには理由があって、「作品」と「批評」って、優位性がどちらにあるとかそういうことは無いと思っているけれど、それらの持つ性格上「時制」はあるじゃないですか、作品批評に限って言えば、どうしたって「作品」が先にあってそのあとに「批評」がくる。そこでちゃんとキャッチボールが成立すると、僕らがより先に行ける可能性があるんです。もちろん無くたって「作品」作る人は、先に行こうとするんだけど。要するに、僕ら作家が「作品の近未来に託そうと予想しているもの」もしくは「作品で示せるかもしれない近未来」を批評で言っちゃってほしい、っていうふうに、心のどこかで思っているんです。自分の作品に限らず、同世代の作品でもかまわない。自分が知りたいと思っていることの可能性について誰かが文章化して、あーなるほど、あの人が言っていることはよくわかる、そんな風に思えたら、作家っていう立場の人間はそのことについての作品を今から作ろうとは思わないことが多いはずです。それは過去のこととして、違うことをし始めると思う。なので、美術作家の側から言うと、「作品」と「批評」の関係性は、時制的に健全なジャンプ力が持てる可能性のあるものだと思うし、それが成立したならば良い空間ではないかと思っています。ですので、一応批評は読むようにしてはいるけど、正確な意味では読んでいないことが多いと思います。

粟田 もちろん、読まなくても良いとは思いますが、なんというか、批評というのは闇というか作品の影というか、そういうものとして機能していれば良いんだと思います。

雨宮 闇かどうかはわかりませんが、もちろんそれはスゴくあるし、会場にいらしている方のなかで、作家の方や作家の卵の人もたくさんいらっしゃると思うけど、スゴくイヤな引っかかりとして批評の在り処、というものがあるからこそ、この会場にいらしてるのだと思うし、潜在的にはウェブで公開するのを待ってくださっている人もいると思う。実際、美術作家と批評というのはとても近しい存在なわけじゃないですか。近いから解るかどうかといったら、それは別の話だと思うのですが、批評の側から見たら被対象であるはずのとても近い関係であるはずの美術作家が、「先週出版されたものでさえ目がスベる」なんて人前で言ってしまっているわけなので、その状況自体がかなり怪しいことになっているな、どうにかならんもんかな?というのがわざわざこういうことを始めた僕自身のモチベーションでもあるわけです。

粟田 でも、たとえば「マテリアル」っていったときにそれに引っ張られちゃうのは違うと思いますよ。

雨宮 あー、それは、いろいろな意味で心配しなくて大丈夫だと思う(笑)。

粟田 別に批評家だけの発言だけではなくて、あんまり言葉に「あっ、そうなんだ」って引き寄せられてしまうと、野生みたいなものが損なわれてくる気がするから、作家にとって批評は抑止力程度にとらえていた方が良いかもしれない。

雨宮 本格的に時間が少なくなってきましたが、最後に少しだけ他の話に行きますが、その前に。『美術手帖』は普段なかなか買わないんだけど、今月は沢山さんの文章を読むために買ったんです。でも、批評を読みたくて買ったのにそれについて読むところがあまりに少ない。せっかく批評の受賞作品を掲載しているんだから、まずはちゃんと批評特集にしろよ!という気分です。批評みたいな紙で読んだ方がベターなものを、ちゃんと紙で読みたいって人はいると思うんで、その辺は堂々とやって欲しいと思う。それと、美術出版社の芸術評論募集が数年に一度のものであれば、もっと脚光を当てても良いんじゃないかと思う。なのに特集は「アーティストになるための基礎知識」?? 僕はもう10年アーティストやっているのに、それを持って歩く恥ずかしさ考えてくれよと(一同爆笑)。ま、それは冗談として、最後にパネリストの方々に最後に改めて「未来」について聞きたい。近い未来でも具体的な未来でも、抽象的な未来でも、遠い未来でも良いので、お話しください。実はこの質問は、以前に自分がパネラーとして出たシンポジウムでパスしたことがあります。僕はその時は、「明日のご飯もわからないぐらいの現在なので未来なんてわかりません(怒)」みたいに突っぱねちゃったんです。ですので、そんな僕からの質問なんでそれもアリとしてお聞きします。それを置き土産として終わりにしたいと思います。では、どなたからでも。

粟田 じゃあ、先に喋った方が良さそうなので私から発言すると、今僕らが同時代の美術の動向について書けるような場所って、レビュー欄しかないような実情です。ですので、私の中ではなるべくレビューの場合も連載を念頭に書くように心がけています。もちろん連載という枠を維持できるような強度のある文脈をまずつくらないといけないんですが、とりあえずレビューという形式でそれをどこまで続けていけるか、ということがまず私の中で打破していかなくてはならない未来です。

沢山 批評というのは、先程雨宮さんが仰られたように、事後的なものを条件としているのですが、読み物なので、誰かが読むわけです。それが美術作家である場合も当然のようにあって、理想としては美術作家がその批評を読んで、なにかしらの作品においてのレスポンスがあるということが批評におけるポジティヴな可能性としてよく言われている。僕もそのように思います。誰に一番読まれたいかというと、書かれている対象の人に読まれることが自分自身にとって一番の刺激になるのではないかと思います。ですので、批評というのがある種の事後性というのを条件にしながらも、どこかで、あり得るならば未来を先導したいという野心も同時に持ちえなければならないと思います。つまり、批評というものには「現在」という事象だけが欠けていて、「近過去」と「未来」という事象だけがあるのではないかと思っています。

土屋 今、沢山さんがおっしゃられたことに私もほぼ同意します。現存する作家についての作家論を書くときは、確かにその作家に読んで欲しいとは思います。けれども、さらに言うと、その作家が今後作品を展開していくことが不可能になるくらい(笑)、先の展望も含めたすべての可能性を書き尽くしてしまう、ということが望ましい。私はそういう、半ば倒錯的な欲望をもっているのですが。それはよいとして、その一方、批評家に読んでもらいたいという欲望があります。名前が出ている批評家だけでなく、表面化していない潜在的な読者=批評家はいると思いますが、肯定的であれ、否定的であれ、具体的なレスポンスがあったほうがいいとは思う。私自身、それを実践として実行できていないので、今後はそれをやらなきゃいけないのかな、と。ただ、批評家同士のレスポンスというのを可能にするためにも、批評という言語そのものを、もう一度考え直さなければいけないのではないか。互いに言語を交わす共通する基盤もないところで、何かを言い合っても、単なる居酒屋の喧嘩にしかならない。なので、もう一度歴史的な観点から美術批評の言説というものがどのように形成されてきたのか、ということをもう一度再考しつつ、捏造であってもよいと思うぐらいですけれども、改めて再構築しないとちょっとマズいんじゃないか、というような危機感を抱いているわけです。「美術犬」というものを始めたのも、そんなことがきっかけのひとつになっています。ですので、「こういうことを続けていくしかないでしょうね」ということが、未来に対する展望です。

雨宮 では、もっと喋りたいこともあったのですが、土屋さんが締めてしまったので(笑)。先程、「目がスベる」なんてのを連発しましたが、すごくシンプルな話、漢字で「粟田大輔」って見るよりも、この生物としての形を知っている方が、少しでもその人の文章から目がスベらずにいられると思うんです。なので、こういう場所っていうのはたくさんあって良いんだな、って思いますし、今後パネリストの皆さんの文章も興味深く読まざるを得なくなっているこの状況は悪くないな、って思います。僕はこんなことをしていながら、シンポジウムとか行かない人間なんだけど、ちょっとは行こうかな、って思っているところです。会場の皆さんも、今後、前にいるパネリストの動向や、書くものにご注目してくださればと思います。では、長時間にわたりご静聴ありがとうございました。

(2009年10月24日、横浜・BankART Studio NYK 1F BankART Mini galleryにて。テクスト化にあたって各パネリスト自身による加筆修正が施されているが、最終的な文責・編集責任は「美術犬(I.N.U.)」編集部に帰属する。)

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